2011年3月11日の思い出
あの日、地震で目の前の人達が立っていられずに膝をつく光景を見た。
数回の揺れの後、会社から空き地に避難をした。その間も余震は続き会社から帰宅指示が出たことを覚えている。
方向が同じ人たちと家まで一緒に帰る。日も暮れ、道には人と車が溢れかえり、疲れた私達は途中で夕飯を食べた。今となってはあの時お店が営業していて良かったなと振り返ることができるが、あの時は半分意識が飛んでいたと思う。
家に戻った私の目に最初に映ったのは炊飯器である。冷蔵庫の上にあったものが落ちていたのだ。
他には細かなものが落ちたり転んだりしていたが大きな損害はなかった。
落ち着いてテレビを見るとコンビナートの火事だったろうか、火災が続いている映像だった。
避難所の情報や各地の状況を見ながら不安にかられていた。
ラジオも同じであり被災情報で溢れかえっていた。
あの時、私は何も準備が出来ていなかった。子どもの頃から防災訓練をし、阪神大震災もテレビで見ていた。
でも、何も準備していなかった。
今、私は防災グッズなどの物理的な準備は出来ている。しかし、気持ちや情報の面ではどうだろう。
1週間後、1日後、あと1時間後、同じ地震が起きた時に私はあの日よりも安全に周りも助けながら行動が出来るだろうか。
祈る心とともに被災によって我々が得た経験を生きたものにする。それが直接大きな被害を受けなかった私がすべきものだと今日改めておもうのである。