今日のなるじばなし

今さらこんな話、誰も読まないからこそ書く。そんな感じです。

加賀百万石の魅力とミステリー

昨日は石川県で仕事。

 

何回かこのブログで書きましたが私は石川県が大好きです。

 

これは理由が一つありまして、もう10年以上前に初めて石川県に旅行に行ったときの景色が忘れられないのと、その時に乗っていた電車で起きた不思議体験があったからです。

 

石川県に七尾市という街がありまして、その日は七尾から金沢に向かう電車に乗っていました。

時間は夕方、ボックス席から外の景色を眺めていました。窓の外には一面の田んぼ、9月の頭だったので稲刈り直前で夕日に照らされた稲が黄金色に光っていたのを覚えています。

 

そういう景色は田舎に行くとありがちではありますが、そこは加賀百万石と呼ばれた石川県、しばらくの間その景色が続くのです。

それを見た私は心奪われ、また来年も来ようと思ったものでした。

 

さらにもう一つ、これが私の心に引っかかり続けていることですがその電車は全く混んでいなかったのですが、途中で乗ってきた女子高生3人が何故か私が座っていたボックス席に座ってきたのです。

 

え?と思いながら周りを見渡しても、いくらでも座るところはあります。

最初、石川県にはそういう席をつめるという文化があるのかと思っていましたが次の駅で乗って来た人たちは普通にバラバラに席に座って行きます。

 

なんだこれはと思いながらその女子高生たちは私のことはお構いなしにおしゃべりを続けています。

 

そこから何駅か過ぎるまでその状況が続き私の心は乱れに乱れました。そしてその子たちは何事もなかったかのように降りて行きました。

 

私はこの不思議な体験が稲穂の景色と同じぐらいインパクトがありその謎はいつまでもとけないでしょうが、私の思い出として強く残っています。

 

そこから何度も石川県に行っていますが、色々な新しい景色を見て、新しい経験をしていますがあの最初に見た景色と得た経験は私の心を離さないのです。

新型コロナは魔物ではない

ご無沙汰してます。

 

新型コロナの問題がやや落ち着いてきています。新型コロナが落ち着いたかどうかは誰にもわかりません。

 

兎にも角にも騒ぎが始まった2月後半から色々な科学的な話とデマが混ざり合って3ヶ月以上。今の日本の社会も科学とデマが混ざっています。

 

私はこの問題が始まって以来、新型コロナに感染しても構わないという姿勢で生活してきました。

 

どうやっても今の状態での死亡率がかなり低いというデータがありますので、かかっても1ヶ月も休めば社会復帰できるとわかれば抗体を期待して先にかかるのもありかと思いました。

 

しかし、世の中にはかかってはまずいと思っている人が多いのか、よくわからない対策をとって生活をしている人が多くいます。

 

正直迷惑です、ただのミーハーです。新型コロナで特に気を付けなくては行けない世代や基礎疾患のある人はいます。

でもそれは他の伝染病も同じことです。新型コロナは死亡率がとんでも無くたかいわけではありませんので、この病気で死ぬ人はある意味自然の摂理です(ウイルスが人造なら話は別ですが…)

 

それなのに、謎の水で消毒風なことをしたり、何の根拠もない聞きかじりの予防策をしたり。

こういうのもこれまでの教育のレベルの低下が招いたものなんでしょう。

 

アホくさくて付き合っていられませんので、もうちょっと頭使ってもらえませんかね。

 

心を形には出来ないのだけれど

先程、紅白でもAI美空ひばりが出てきましたね。

 

あれは多分9月か10月だったと思いますが、NHKスペシャルでそのAI美空ひばりの作成過程が放送されたんですね。

 

秋元康天童よしみ森英恵加藤和也と名のある人たちだけでなく、当時髪結を担当した人、美空ひばり後援会といった人たちも巻き込んで再現の作業が進行してきたわけです。

 

結果出来上がった歌は私には素晴らしく感じられました。世間では批判的な声もあったようです。

 

でも、歌以上にそこまでに至る過程が私の心にはささりました。

美空ひばりさんの命日には未だにお墓参りに来るファンの方が大勢いるということにも驚きました。もう30年も経つというのに、どれだけ愛された存在だったのか。

携わった人たちの心に遺る美空ひばりさんをもう一度見たい、それは道を外れれば批判されるでしょうがあの番組の構成にはそのような部分は感じられませんでした。

 

平成の心残りを1つの歌にした、そういうことだと思います。

スーパーネゴシエーター

昨日、コンビニで小さい女の子がお母さんにお菓子を買って欲しいようでポッキーぐらいの箱を両手で抱えながら歩いてきました。

 

お母さんは買わないよ、返してきての一言。悲しそうに棚に返す女の子、あー残念だったねと見ていたところ先ほどのお菓子より一回り小さいお菓子を抱えてまたお母さんのところへ。

 

お母さんは諦めさせようとコンビニの入り口へ。そしてまた返してきてと、女の子は諦められないようでお母さんのもとへ。お店から出てはまずいのであ母さんは女の子を抱っこしてお菓子の棚へ…

 

ま、そこで私もコンビニを出たんですが、あの女の子はお菓子を買ってもらえたかな〜

小さなスーパーネゴシエーター、頑張れ!と応援していました

バカのコスト

現代は何をするにもお金がかかりがち。

何かをするのに必要なお金や人や時間をコストといったりします。

 

さて、バカのコスト。これは私が勝手に作った言葉ですが、これは発展性のないことにお金などが使われることを指しています。

 

沢尻エリカが逮捕されて色々なことに影響が出ています。

既に一回とったドラマをもう一度撮らなくてはいけないということが起きています。

そのために人、モノが動きコストがかかります。それがなければ他の仕事が出来たのに、余計な仕事が増えてコストがかかる、こういうコストのことをバカのコストと呼ぶのです。

 

身近なことでもバカのコストはたくさんあります、バカが痴漢をするから女性専用車両が作られ、バカが万引きをするから防犯カメラがつけられ、バカが日本語を理解できないから当たり前のことでも注意書きがされる文章があったりと挙げたらキリがありません。

 

バカが増えるとコストがかさみます、そうなると発展性のないことにお金が使われるわけですから社会や経済が本当によくなるわけありません。

 

バカが御上りさん気分で桜を見せたい、見たいと思ったから国会でさらに税金を使って多くのコストがかかってるわけです。

 

バカが増えた原因は色々ありますが、教育機会の均等に目をつけ過ぎて教育レベルの向上のほうに力を入れるのが足りなかったからでしょうか。

世襲というのは

小泉進次郎は今、世襲議員でもっと目立っている存在でしょう。

軽いジャブのようなネガティブな目立ちかたをしていますが政治屋の稼業を継いだんですから今のくだらない関心は上手くあしらって本番の国会、行政で結果を出していただければと思います。

 

世襲というのはどの時代、どの地域でも行われているのでこれはも人間の性なんでしょう。

そしてそれに抗おうとするのもまた同じです。

 

私は大学でその世襲について調べていました、奈良時代の今でいう首長が首長がどう選ばれていたのかについてです。

選び方の指示は世襲基準と実力基準を行ったり来たり、現代と変わらずどちらも批判や問題だいがあったようです。

 

日本でも数百年悩んでいるこの問題の解決策はあるのか?

私には一つ案がありますが、その案は歴史のなかでも試されており失敗に終わっています。時代の違う現代に当てはめてみるのも手ですが、まあそれは無理だと思います。

 

まあ、世襲は政治以外でもたくさん行われていて有益なことも多いので人生いろいろ、世襲もいろいろです。

何を応援しているのか。

私が応援しているグランパスの監督が交代になりました。

 

グランパス以外を一生懸命ウォッチしたことがないので他のチームも同じかもしれませんが、誰かが去り、誰かが入ってくるといつも思うことがあります。

 

私は何を応援しているのか、グランパスというチーム、選手、監督などなど。

 

チームを応援しているからもう20年以上見続けているんでしょうけど、どうしても長期的にチームにいる選手や監督が少なくて虚しくなることも多いです。

 

まあでも、赤いユニフォームでサッカーやってくれてればこのまま応援し続けるわけだからこれからも頑張ってほしいですね。